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困難に負けず:数学と統計学における女性を称える Against the Odds: Honoring Women in Math and Statistics

作成者: Minitab Blog Editor|2021/03/18 5:45:00

アメリカでは、毎年3月は女性史月間です。女性史月間には、先駆者であり、立ち直る強さと影響力を持つ女性を称えます。世界が新型コロナウイルス感染症の爆発的流行に対処するなかで、3月も例年とはまったく違うものになっているでしょう。

時勢に合わせて、逆境に直面して勝ち、大きな影響を与えた、統計に関係するたくさんの女性の中から、数人にスポットライトを当てご紹介します。

ナイチンゲールはデータを視覚化して衛生と手洗いを唱えた

フローレンス・ナイチンゲールを、「ランプを持った婦人」、現代看護学を築いた人としてご存じでしょう。有名な統計学者でもあったことをご存じでしたか?

ナイチンゲールは、常に看護と他者の手助けが求められていると感じていました。フランスとドイツに留学し、ロンドンの窮状婦人病院で院長を務めた後、クリミア戦争中に在トルコ英国病院で活躍し、輝き始めました。この病院の衛生状態、患者の治療の改善、適切な医薬品の提供など、この病院の多くの問題に気づき、対処しました。自分のチームとともに、1856年にトルコを離れるまで、死亡率を大幅に減らし、病院の清潔さを改善しました。

現在では有名なナイチンゲールもロンドンに戻ってから、学んだことを共有し、衛生状態の改善、手洗いによって命がどれほど救われたかを説明しました。自分の主張を証明するために、広範な調査を行い、医療データを収集、分析し、衛生状態の悪さが戦時中の主な死因であり、医薬品や食料の不足ではないことを明確にグラフで示しました。

特に、このデータ分析から、イギリス人兵士が病気で死亡する確率が戦死する確率の10倍で、イギリスではイギリス人兵士が軍の不十分な健康管理によって民間人の2倍死亡したことが明らかになりました。ナイチンゲールはその業績により、王立統計学会に認められた初の女性になり、その医療政策の改革は、大勢のイギリス人兵士の命を救っただけでなく、今日でも、人々の命を救い続け、健康を守り続けています。

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「人間コンピューター」キャサリン・ジョンソンは人類の月面着陸に貢献した

2016年公開で受賞歴もある映画「ドリーム」を見たことはありますか?この映画は、宇宙開発競争時代にNASAで働いていたキャサリン・ジョンソンと他の黒人系女性数学者の話をもとにしたものです。

ジョンソンは幼い頃からいつも数え、数に対する強い欲求と適性を示していました。飛び級で、わずか15歳にしてウェストバージニア州立大学に入学し、教授の1人から研究数学者として認められました。

そして大学の教授になりました。チャンスはこの後めぐってきます。NACA(米国航空諮問委員会でNASAの前身)が、エンジニアの計算を確認するために黒人女性の人間「コンピューター」を雇ったのです。やがて、好奇心旺盛で、「なぜか」を理解するために粘り強く質問することから、目立つようになりました。

ケネディ大統領が月に人間を送るよう国に命令したとき、ジョンソンはそのチームに加わり、1961年のアメリカ初の宇宙旅行で軌道を計算しました。1969年には初の月面着陸の計算を担当しました。ジョンソンの立ち直る力と好奇心旺盛な気質により、本人への機会は開かれ、そして他の女性や女児にも、星も夢も決して手の届かぬものではないことが示されました。

「統計の女性第一人者」ガートルード・コックスは統計学者を科学のパートナーとした

影響力ある呼び名「統計学の女性第一人者」を得たガートルード・コックスは、アメリカの統計学者で、1941年にノースカロライナ州立大学で実験統計学部を創設しました。後にノースカロライナ統合大学統計研究所長およびノースカロライナ州立大学統計研究部門長に任命されました。

コックスの研究は主に実験計画でした。1934年にアイオワ州立大学の実験の計画課程で教え始めましたが、計画資料は1950年まで公開されていませんでした。この年、W・G・コクランと実験計画を共著しました。この本は最も影響力のある統計本の1冊であり、今日でも出版されています。

慣習を打破し続けたコックスは1949年、国際統計協会に選出された初の女性になりました。1956年、アメリカ統計学会の会長に選出されました。キャリアの機会について聞かれると、コックスは「統計分野は女性に広く開かれている」と答えていました。コックスの熱意と影響力のおかげで、その足跡と統計への情熱に他の女性や女児がついていくことができています。 

 

 

政府の経済学者ジャネット・ノーウッドは将来の女性リーダーへの道を開いた

ジャネット・ノーウッドは、米国労働統計局初の女性委員です。1979年にジミー・カーターから任命され、1980年代にロナルド・レーガンから2度再任されました。自分が政府機関や専門家協会の会議で唯一の女性であることに気づき、女性の存在とリーダーシップに注目してもらい、受け入れてもらい、認めてもらうように努めました。

米国労働統計局のパートタイムのジュニアエコノミストとして仕事を始め、時間をかけて出世し、最後には任命を受けました。キャリアを通して、誠実さ、プロ意識、公平さで認められました。ノーウッドの貢献は、主に失業率や消費者物価指数などの政府統計におけるものです。

1989年、ガートルード・コックスの足跡をたどり、アメリカ統計学会の会長に選出されました。また、多くの専門家協会、特に国際統計協会と都市研究所に自分の事務所がありました。ノーウッドは、将来の多くの女性リーダーにとって先駆者でした。
私を含めて女性のために、犠牲を払い、そして機会を創出してくれる、過去、現在、未来の世界中のすべての女性に心から感謝いたします。